人形は回る

Author: dolly

「歯車」小論:芥川龍之介はなぜスリッパからイアーソーンを連想したのか

はじめに 本記事の目的

 芥川龍之介の短編小説「歯車」には、次のような一節がある。

 僕はこのホテルの部屋に午前八時頃に目を醒ました。が、ベッドをおりようとすると、スリッパアは不思議にも片っぽしかなかった。それはこの一二年の間、いつも僕に恐怖だの不安だのを与える現象だった。のみならずサンダアルを片っぽだけはいた希臘ギリシャ神話の中の王子を思い出させる現象だった。*1

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/42377_34745.html

 スリッパが片方だけ見当たらなくなるというのは、比較的ありふれた事象だろう。そこに「恐怖だの不安だの」を覚えるのは大げさなようであり、しかも「希臘神話の中の王子」を思い出すというのはかなり唐突な印象を受ける。
 なぜ「僕」はこのような突飛な発想に至ったのか。「歯車」の各所に散りばめられたギリシャ神話の要素を拾いながら考えていきたい。

「歯車」作品概要

作品紹介・初出

 「歯車」は芥川龍之介の遺稿の一つである。
 初出誌は、「一」のみ「大調和」(1927(昭和2)年6月)、全文は「文藝春秋」(第5年第10号、1927年10月)である。執筆時期は1927年3月~4月とされる。
 なお、芥川が自殺したのは1927年7月24日である。35歳だった。
 主人公の「僕」は芥川自身である*2。「レエン・コオトを着た男」や、視野のうちで絶えず回る半透明の歯車のイメージ、そして生活上の様々な困難によって、「僕」の精神は逃げ場なく追い詰められていく。

成立背景

 「歯車」の成立背景には、芥川の精神的な衰弱がある。
 生母・新原フクが精神を病んだことは、幼年期から芥川に影響を与え、彼自身もまた母のように発狂するのではないかと恐れていた*3
 では、「歯車」執筆前後の状況はどうだったか。
 創作上の行き詰まりに加え、生活上の問題がたびたび芥川を苦しめた。妻以外との女性関係や、編集を務めた文芸読本にまつわるトラブルなどもあった。
 1927年1月、芥川の姉の夫・西川豊が、自宅に放火して保険金を受け取ろうとしたとの嫌疑を受けた後、鉄道自殺した。芥川は精神的な打撃を受けたのみならず、実際上の処理にも追われることとなった。この事件は「歯車」にも登場する。
 同年6月には、芥川と交流の深かった作家の宇野浩二が、精神に変調を来たして入院した。芥川はこの出来事を「或阿呆の一生」(「改造」第9巻第10号、1927年10月)の終盤に記し、宇野がまだ入院している間に自殺した。

「サンダアル」が意味するもの

 まずは、「僕」がスリッパから連想した「サンダアル」について整理していきたい。

「サンダアルを片っぽだけはいた希臘神話の中の王子」=イアーソーンとは

 「サンダアルを片っぽだけはいた希臘神話の中の王子」とは、イアーソーン(イアソン)のことだろう。
 イアーソーンは、イオールコスの王・アイソーンの息子である。ギリシャ中の英雄を集め、金羊皮を求めて出航したアルゴナウタイの冒険で知られる。
 片方だけのサンダルに関するエピソードは以下のようなものである。
 イアーソーンは、イオールコスの王位についていたおじ・ペリアースの元へ向かう途中、川を渡ろうとしている老婆を背負って助けてやった。このとき、イアーソーンの履いていたサンダルが片方失われてしまった。なお、この老婆は女神・ヘーラーが扮したものだった。
 ペリアースは、到着したイアーソーンの足元を見て驚いた。かつてペリアースは「片方だけサンダルを履いた男に王位を脅かされるだろう」と神託を受けていたのだ。そこでペリアースは王位を譲る条件として、遠く黒海の果てにあるコルキスという国で金羊皮を手に入れるという難題を、イアーソーンに課した。これがアルゴナウタイの冒険のきっかけであった。
 このエピソードにおいてサンダルは、イアーソーンがヘーラーの加護を受けるきっかけにはなったが、ペリアースの警戒を呼び起こしたという意味では悲劇の始まりだとも言える。イアーソーンは冒険の末に何とか金羊皮を手に入れたものの、結局ペリアースは王位を譲らなかった。イアーソーンはペリアースへの復讐を果たしたが、却って国を追われ、コルキスで出会った妻・メーデイア(メディア)や子どもたちと共にコリントスという国で生活を始める。しかし自分の国を手に入れたいという望みは残り、コリントス王の娘と結婚する話を受けようとしたところ、メーデイアの逆鱗に触れた。イアーソーンは新たな婚約者、国、そして自分の子どもたちの命と、何もかもをメーデイアによって奪われてしまった。
 「歯車」で「僕」の想起したイアーソーンは、例えばアポロニオスの「アルゴナウティカ」で語られるような冒険者・英雄をイメージするよりは、その後全てを失った人物として考えたほうが自然だろう。片方だけのサンダルは、彼が行き着く悲惨な結末への第一歩を象徴したアイテムと言える。
 

もう一つの「サンダアル」――「Talaria」

 ところで、芥川が「サンダアル」に言及した作品がもう一つある。「歯車」とは別の遺稿「或阿呆の一生」である。
 「六 病」の全文を以下に引用する。

 彼は絶え間ない潮風の中に大きい英吉利語の辞書をひろげ、指先に言葉を探してゐた。
 Talaria 翼の生えた靴、或はサンダアル。
 Tale 話。
 Talipot 東印度に産する椰子。幹は五十呎より百呎の高さに至り、葉は傘、扇、帽等に用ひらる。七十年に一度花を開く。……
 彼の想像ははつきりとこの椰子の花を描き出した。すると彼は喉もとに今までに知らない痒さを感じ、思はず辞書の上へ啖を落した。啖を?――しかしそれは啖ではなかつた。彼は短い命を思ひ、もう一度この椰子の花を想像した。この遠い海の向うに高だかと聳えてゐる椰子の花を。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/19_14618.html

 「Talaria」(タラリア)は「(ギリシャ神話のヘルメス,ローマ神話のメルクリウスの両足の)翼,翼のついたサンダル*4」のことである。伝令神ヘルメス以外にも、英雄ペルセウスなどが翼のついたサンダルを履いている描写がギリシャ神話には見られる。

ヘルメスのイメージ

 「Talaria」「Tale」「Talipot」という3つの単語は、辞書上で並んでいたものを無作為に引いてきたとは思えない。実際の辞書であれば、例えば「Tale」と「Talipot」の間には「Talent」のような一般的な単語が当然入るだろう。つまり、芥川は意図的に単語を選んでいる。
 本記事では「Talaria」のみに注目するが、これもやはり唐突である。前後の文脈を見ても「Talaria 翼の生えた靴、或はサンダアル。」の項を記載する意味は理解しづらい。
 ただ、「歯車」と「或阿呆の一生」には死を前にして書かれた遺稿という共通点があり、その両方に「サンダアル」が登場しているのは興味深い*5
 「歯車」の「サンダアルを片っぽだけはいた神話の中の王子」についても、芥川は「Talaria」の、つまり翼のついたサンダルのイメージを持っていたとは考えられないか。
 イアーソーンについては、そのサンダルに翼が付いていたとされる文献や資料があるか、またあったとして芥川がそれを知る機会があったか、筆者は確認できなかった*6*7
 ただ、ギリシャ神話で語られるイアーソーンが翼の付いたサンダルを履いていたかは別として、芥川の想起したイアーソーンが翼の付いたサンダルを履いていた可能性はある。その点を考えるために、再び「歯車」を読んでいきたい。

「僕」を追い詰めるギリシャ神話の翼

 先行研究でもしばしば指摘されているとおり、「歯車」には「翼」が繰り返し登場する。鳥の翼や龍の翼など種々あるが、ここではその中でもギリシャ神話の人物であるエリーニュス(エリニュス)とイーカロス(イカロス)を中心に見ていくことにする。

「復讐の神」=エリーニュスたち、そして秀しげ子

 エリーニュスたち(複数の女神を指す)は、復讐の女神と形容されることが多いが、主に肉親間の問題に関する罪を追及する女神と捉えるほうが分かりやすいように思う。
 エリーニュスたちは翼を持ち、頭髪が蛇である等、恐ろしい姿をしている。罪人を追い詰め、発狂させることで復讐を果たす。
 「歯車」本文には、「復讐の神」という言葉が3カ所(回数は4度)に登場する。記事の都合上順番は前後するが、以下のような記述である。

 そのうちに或店の軒に吊った、白い小型の看板は突然僕を不安にした。それは自動車のタイアアに翼のある商標を描いたものだった。僕はこの商標に人工の翼を手よりにした古代の希臘人を思い出した。彼は空中に舞い上った揚句、太陽の光に翼を焼かれ、とうとう海中に溺死していた。マドリッドへ、リオへ、サマルカンドへ、――僕はこう云う僕の夢を嘲笑わない訣には行かなかった。同時に又復讐の神に追われたオレステスを考えない訣にも行かなかった。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/42377_34745.html

僕はひとりこの汽車に乗り、両側に白い布を垂らした寝台の間を歩いて行った。すると或寝台の上にミイラに近い裸体の女が一人こちらを向いて横になっていた。それは又僕の復讐の神、――或狂人の娘に違ひなかつた。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/42377_34745.html

 「人工の翼を手よりにした古代の希臘人」=イーカロスについては後述する。
 オレステース(オレステス)は、父親を死に至らせた母親らを殺した人物である。母殺しを罪としたエリーニュスたちは、オレステースを執拗に追い詰め、ついに狂わしめた。
 次に「僕の復讐の神、――或狂人の娘」であるが、芥川のいう「狂人の娘」は秀しげ子を指すとするのが定説である*8。秀しげ子とは、芥川と一時期不倫関係にあった女性である。しかし芥川は、しつこくつきまとうしげ子に辟易しており、それが自殺の一因にもなった。遺書には以下のように書かれている。

僕は支那へ旅行するのを機会にやつと秀夫人の手を脱した。(中略)その後は一指も触れたことはない。が、執拗に追ひかけられるのには常に迷惑を感じてゐた。僕は僕を愛しても、僕を苦しめなかつた女神たちに(但しこの「たち」は二人以上の意である。僕はそれほどドン・ジユアンではない。)衷心の感謝を感じてゐる。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/16034_33783.html

 「執拗に追ひかけられる」という表現からも、芥川にとって、しげ子とエリーニュスたちのイメージを重ねることは自然であったことが分かる。つまり、芥川をオレステース、秀しげ子をエリーニュスになぞらえていると見ていい。執拗に追い回し、男を破滅へと導く女たち。ただ、追われる男のほうにも罪の意識が確かにあった。
 なお、「歯車」で最初に「復讐の神」が登場するのは以下の場面である。

 僕はこの本屋の店へはいり、ぼんやりと何段かの書棚を見上げた。それから「希臘神話」と云う一冊の本へ目を通すことにした。黄いろい表紙をした「希臘神話」は子供の為に書かれたものらしかった。けれども偶然僕の読んだ一行は忽ち僕を打ちのめした。
「一番偉いツォイスの神でも復讐の神にはかないません。……」
 僕はこの本屋の店を後ろに人ごみの中を歩いて行った。いつか曲り出した僕の背中に絶えず僕をつけ狙っている復讐の神を感じながら。……

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/42377_34745.html

 「ツォイスの神」とは、ギリシャ神話における最高神ゼウスのことである。
 本来は「黄いろい表紙をした『希臘神話』」で前後の文脈を確認したいところだが、詳細は判明しなかった*9。ただ、芥川にとって「復讐の神」が、ある意味でゼウスを上回る存在であることは確かだったようだ。「侏儒の言葉」(「文藝春秋」、1923年1月~1925年11月連載)にも次のようなアフォリズムがある。

 復讐の神をジュピタアの上に置いた希臘人よ。君たちは何も彼も知りつくしていた。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html

 「ジュピタア」もまたゼウスのことである。
 エリーニュスたちはゼウス以前に生まれた原初の女神である。ただその起源が持つ意味以上に、芥川が復讐の神を何よりも恐れていたことを示す描写として、ゼウスは何度も比較対象として用いられたのだろう。

翼が迫る。発狂か、死か。

 先ほど出てきた「人工の翼を手よりにした古代の希臘人」=イーカロスについても少し述べたい。
 イーカロスは、父・ダイダロスと共に迷宮内に幽閉された際、ダイダロスの発明した翼を付けて脱出を試みたエピソードが有名な人物である。ただ、イーカロスはあまりに高く飛び過ぎたため、太陽の熱で翼の蝋が溶け、海に墜落して死んでしまった。
 「歯車」では、巻煙草の銘柄が「エエア・シップ」だったことから、「僕」は再び「人工の翼」を思い浮かべている。また、「或阿呆の一生」にもイーカロスに触れた「人工の翼」という章があり、当時の芥川にとって気にかかるモチーフの一つであったことが窺える。
 「歯車」には他に、「あの飛行機は落ちはしないか?」と空を見上げて不安がる場面がある。「なぜあの飛行機はほかへ行かずに僕の頭の上を通ったのであろう? なぜ又あのホテルは巻煙草のエエア・シップばかり売っていたのであろう?」という、ほとんど言いがかりのような表現が、「僕」の神経が相当に参っている様子を表している。
 「人工の翼」は落下、そして死に至るイメージを持っていると言えよう。一方、先ほどまで見てきた「復讐の神」エリーニュスたちの翼は、罪人をどこまでも追いかけるためのもので、その復讐は発狂によって遂げられる。
 「歯車」に繰り返し登場する「翼」は、「僕」に不吉なイメージを突きつける。発狂か、死か。ついに目を閉じていても「僕」のまぶたの裏には翼が映り始めた。作品は次の文章で締めくくられる。

――僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/42377_34745.html

 そして「歯車」の最終章を脱稿した日、芥川は最初の心中未遂を起こしたのだった。

おわりに イアーソーンのサンダルに翼は生えていたか

 最後に、なぜ「僕」は片方のスリッパから「希臘神話の中の王子」を唐突に連想したのか、という当初の疑問について改めて考えたい。
 このときの「僕」は、何を見ても自身が追い詰められているように感じる、ノイローゼの状態である。特に「翼」は繰り返し様々な形で現れ、発狂に至るエリーニュスたちの翼、死に至るイーカロスの翼と、まるで選択を迫ってくるかのようである。
 イアーソーンのサンダルも、エリーニュスやイーカロスと同じく、「翼」のイメージに連なるアイテムだったのではないだろうか。
 翼以外にも、「僕」がイアーソーンを連想する理由がないわけではない。例えば、イアーソーンがメーデイアに執着されたために身を滅ぼしたという見方をすれば、それはエリーニュスたちに追われるオレステース、しげ子に追われる芥川に重なるとも言えるだろう。
 しかし、「人工の翼」がそのままイーカロスの最期へつながったのとは違い、片方だけのサンダルはイアーソーンの悲劇的な結末に直接は結びつかない。単なる片方のスリッパは、恐怖や不安を呼び起こすきっかけとしては、やはり弱いように感じられる。
 「僕」が、「希臘神話の中の王子」が履いている「サンダアル」に翼の付いたタラリアのイメージを抱いていたとすれば、この突然の連想もスムーズにつながる。「歯車」に何度も現れる「翼」の一つとして、「サンダアル」は機能していた。少なくとも「僕」=芥川にとってはそうだったのではないか。
 前述のとおり、イアーソーンがタラリアを履いていたという文献や資料を、筆者は見つけることができなかった。
 ただ、精神的にひどく衰弱していた芥川がスリッパから思い出したギリシャ神話の王子は――彼の脳裏に浮かんだイアーソーンは、翼の生えたサンダルを履いていたのではないだろうか。

主要参考文献・Webサイト

  • ギリシャ神話関連
    • Euripides. THE MEDEA, tr. into English rhyming verse with explanatory notes by Gilbert Murray. Oxford University Press. 1910.
    • Ovid. THE METAMORPHOSES, tr. into English prose by Henry T. Riley. London. n.d.
    • 高津春繁『ギリシアローマ神話辞典』(岩波書店、1960年9月)
      • ギリシャ神話の人物についてはまず本辞典を参照し、その後に他の神話集に当たる形を取った。また記事中の人物名の表記は、基本的に本辞典に従った。
    • アポロドーロス、高津春繁(翻訳)『ギリシア神話』(岩波書店、1953年4月)
    • オウィディウス、中村善也(翻訳)『変身物語(上)』(岩波書店、1981年9月)
    • オウィディウス、中村善也(翻訳)『変身物語(下)』(岩波書店1984年2月)
    • アポロニオス、岡道男(翻訳)『アルゴナウティカ』(講談社、1997年8月)

*1: 本記事では、「歯車」本文は特に注記のない限り「青空文庫」から引用している。また他の作品についても、引用可能なものは「青空文庫」に拠るものとする。もし学術論文であれば避けるべき方法だろうが、今回はアクセスのしやすさ等の利便性を優先し、この形とした。諸賢におかれてはどうかご容赦いただきたい。

*2: 名前こそ登場しないものの、「僕」は「A先生」と呼ばれ、作品に「侏儒の言葉」や「地獄変」などがあると描写されているため、当時の読者にも「僕」=芥川自身であることは明らかだったろう。

*3: その心情は「点鬼簿」などに詳しく書かれている。

*4: 『プログレッシブ英和中辞典』第5版より引用。さほど一般的な単語とは思われず、それこそ「大きい英吉利語の辞書」でないと掲載されていないのではないか。この点からも、芥川が「Talaria」をわざわざ作品中に持ち出してきたことが推測できる。

*5: 十分な検証とは言えないが、青空文庫全文検索を行った(2022年11月26日)ところ、青空文庫に登録されている芥川の作品で「サンダアル」という単語が登場するのは「歯車」と「或阿呆の一生」のみだった。

*6: 宮坂(2020)は、芥川の蔵書に英訳版のエウリピデスエレクトラ』『イーピゲネイア』『メーデイア』、オウィディウス『変身物語』、ホメーロスオデュッセイア』があったことを報告している。蔵書の詳細については当該論文か『芥川龍之介文庫目録』(日本近代文学館、1977年2月)を参照していただきたい。筆者はこのうち、芥川の蔵書と同じ訳者による『メーデイア』と『変身物語』を確認したが、イアーソーンが翼の付いたサンダルを履いていたとする明確な記述は発見できなかった。

*7: 強いて関連を挙げるならば、イアーソーンの母がポリュメーデーだとする説を採った場合、イアーソーンはヘルメスの後裔である。

*8:或阿呆の一生」にも「狂人の娘」は複数回登場する。「彼はもうこの狂人の娘に、――動物的本能ばかり強い彼女に或憎悪を感じてゐた」等、強い忌まわしさを感じさせる書きぶりだ。

*9: 架空の書物という可能性もある。ただ、ゼウスを「ツォイス」とドイツ語読みしている点がやや特異であり、具体的な本が想定されているようにも感じる。